生まれたばっかりの頃の赤ちゃんは、
目も良く見えず音も理解できず、
意思を伝える事もよくわからず。
まあ、右も左も生活や社会の仕組みも、
そもそも自分が生きているという認識も
なんだか良くわからない状態かと思うんですが、
そういう時に何か精神的にショックを受けるような
刺激があると、ただただ悪い影響しか無さそうで、
叱るとか、怒り付けるとか、、
そういうのはまず無意味な感じがしてしまうんですが。
2歳ともなってくると、
意思がハッキリしてきて、
「アレは良いものだ」
という事を学習し始めます。
食べ物も栄養バランスを考えたものを、
その必要なタイミングに食べてくれず、
「遊ぶ」と、「食べる」の境界線を理解しておらず。
オモチャやら親が手にしているものとかを、
なんでも欲しがり、
それがダメだと思うと、
暴れたり、泣き喚いたり、
なんらかの暴力的な態度を取れば、
言う事を聞いてくれる事もある。
なんて事を学習していたりします。
だから2歳児って、
もう本当に、
外に出かければ、時間の都合とか、
公共の場だとか、まわりへの迷惑とか、
そんな事なんて全然お構いなしに、
叫ぶ、泣く、投げる、つかむ、怒る
といった事を平気でやるようになりますね。
そこで出てくる課題が、
「しつけ」をどうするか?
これって、本やら専門家やら情報やらを
集めていると、
絶対に叩いたりしてはいけない
とか、あるいは逆に
叩かれて育った子のほうが
精神が安定しているという統計データが出た
みたいな説があったりして、
どれを信じたら良いやら?
混乱しますが、
これも結局ケースバイケースなんだろうな、
と思いました。
例えば、
「絶対に叩いてはいけない」
という考え方の解釈としては、
自分の中から沸いてきた意思みたいなものがあって、
それは自立心やら自己主張やら意見だったりするわけで、
それを「叩く」とか「痛い」という、
制限をつけてしまうと、
なんでも親が振り上げた手で判断するように
なってしまう。
それが悪い事だからやめる
のでなく、
痛いからやめておこう
というすり替えになってしまい、
痛くないならやっても良い。
人が見てない所ならやっても良い。
もし痛い目に合いたくなければ、
隠ぺいしてしまえば良い。
みたいな考え方に繋がって、
いつしかそれが嘘をつく、とか人を騙す、
といった知恵に繋がり、
物事を歪曲する才能を身に着けたりするかも?
あるいは、
自分が痛い目に合わされる事で、
より力が強い者(親)にコントロールされて
生きて来たとしたら?
他人も力でねじ伏せれば良いと気付き。
なんでも暴力や乱暴で解決しようとするようになる。
とか。。。
では、逆に
叩かれた事がなく自由になんでも
やらせてもらって育った場合は?
何やっても許されると思い込んで育つだろうし、
それを許してくれない社会に出た時に、
社会への怒りや、他人への憎悪に繋がったり
するかもしれない。
そうなると、
ちゃんと強い躾けを受けていない子は、
犯罪率が高くなったり、
精神的に不安定な態度で、
他人に接するようになる。
というのも一理あるかも。
そうなると、
叩くべきか?叩かないべきか?
みたいなところが、
本当に難しくなると思います。
最近、自分の子が魔の2歳児に突入し、
自分の思い通りにならないとなんでも投げ飛ばし、
自分の意思が通らないと、
家の中でも外でもお店でも電車の中でも
バスの中でもレストランでも、
引っくり返って喚き散らすようになりました。
邪魔な子がいれば突き飛ばすし、
自分が欲しいオモチャが手に入らなければ、
人のものを奪おうとしたり、
力でねじ伏せられる事があれば、
力でねじ伏せれば思い通りになる。
という事も学習しつつあるようですし、
大声をだしたもん勝ち。
みたいな事も子ども社会で学んできたようです。
それでも、2歳にもなれば、
ダメなものがダメである、
という事は理解しているようです。
本当はダメな事はわかってるけど、
それが欲しい、気持ちいいから、
やってしまいたい、という感情も強いです。
だから、2歳になると、
「躾け」が出来る年に到達してると思います。
ウチの場合なんですが、
もし
「正しい躾けとは叩く事です!」
という知識があったとしても、
ちょっと無理です。。
P太の顔見てると、
これを叩けるわけがない。
いくら喚き散らしていようと、
怒り狂って引っくり返っていようと、
あんな短い手足をグルグルしている姿は、
ただただ可愛いとしか言いようがなく、
これを叩く?
無理無理無理、、無理すぎ。
でも、可愛いと思っているのは、
大抵、親だけなので、
これを飲食店でやられると、
ただただまわりのお客さんは
不愉快でしかないはずで、
そういうお店には最初から入らないとか、
子どもがギャーワー騒いでいるような
お店だけを選んで入るとか、
心掛けているんですが、
世の中そういうお店ばかりじゃないですよね。
家族で出かけた時、
お腹空いたけどオシャレなカフェしかねえ!
という場合とか、
子連れでシーンとしたオシャレカフェに入ります。
そこで、「アー!アー!」とか大声あげ始めた時、
ダメダメダメ、シィ〜
と言葉で言って聞かせるとか、
それでもダメな場合は、
連れて一度外に出るとか。。
そんな感じでなんとか凌いでます。
でも、そういう時は、
声をあげると、
顔を見て、「ダメだよ?」という顔をすれば、
「ダメなの?」って表情で返してくるので、
「ダメ」な事がある。
という事をシッカリ認識しているのがわかります。
モノをガンガン叩いたり、
投げつけた時は、
投げつけられたモノを手でもって、
「痛い、痛い、さよならー」と
とオモチャ箱に片付けてしまう。
そうすれば、
オモチャを投げると片付けられてしまう。
という事を学習してその時は投げなくなる。
たまに、ウチの2歳児は
凄いヒステリーを起こす事があります。
だんだかわからないけど、怒ってる。
泣いてる。
まあ、「なんだかわからない」なんて事はなく、
大抵は、
自分で走り回りたいのに、
人ごみの中を通り抜けるために、
抱き上げられてしまった、とか。
こっち(川のほう)に行きたいのに、
危ないから、と反対方向に連れて行かれた、とか。
ギラギラしたナイフとフォークを振り回して遊びたいのに、
取り上げられて、面白くもないプラスチックの
スプーンを持たされたとか。。
それを投げ飛ばしたら、
もう取り上げられてしまった、とか。
そして口の中に好きじゃない食べ物を
押し込まれたとか。。
噴水の中に入ってバシャバシャしたいのに、
禁止された、とか。。
飲み物をビシャビシャにこぼして、
それにオモチャを投げ込んで遊びたいのに、
取り上げられてしまった、とか。
食事中に巨大なトーマスを、
ドーン!と食卓に投げ込んで破壊したら、
そのトーマスを片付けられてしまったとか。
お店で玩具をみ〜んな手にとって遊びたいのに、
「売り物だからダメだよ」とやらせてくれなかった、
とか。。
「自由に遊んでください」コーナーにある
オモチャが気に入らなくて、
投げ飛ばそうとしたとか。。
そういうのを注意したりすると、
一回一回はおとなしく理解するんですが、
繰り返された事で、我慢の限界が来て、
頭が沸騰するようです。
すると、まー、
転げ回って怒りだすんですが、
そういう時は放置して、怒らせておきます。
すると、そのうちに、
自分なりに納得行くタイミングが来るようで、
しゃくりあげながら、
「だっこ!ふぇっふぇっ(しゃくりあげ)だっこ!」
と寄ってくるので、
これで暴走モードが終了します。
そんなわけで、
ウチでは「ダメ!」と言う事が何度もあるんですが、
ついにP太も、
「ダメ」という魔法の言葉を覚えてしまい。
ダメ=否定の意思を伝えるもの
という認識になっているようで、
P太が何か困った事をする。
「ダメ」と言うと、
「ダアメ!!!!ダアメ!!!!!」
と強く言いかえしてくるようになりました。
ウンチした?オムツ交換しようね〜
「ダアメ!!!」
もう終わりだよ、お家帰ろうね〜
「ダーメ!!」
これも食べようね〜
「ダメ!!ダーメ!!!」
大声出さないよ?シィー
「ダメ!!ダメ!!」
でも、これを繰り返す事で、
この世には「ダメ」が存在する。
という事は認識したようで。
話が通じるようになった。
という意味では、
このやりとりが「躾け」になっているようにも思えます。
ただ、アメリカとかの集計で出ている、
親に「叩く」などの強い躾けを受けた子のほうが、
精神的に安定していて、犯罪率が少ない。
という統計については、
多分ですが、
なんで人を殴っちゃいけないの?
人のモノを盗んじゃいけないのはなんで?
人を殺しちゃいけないのは何故?
嘘をついちゃいけないのはなんで?
欲しいのに我慢しなきゃいけないのは何故?
お金が足りないってどういう事?
人に迷惑ってどういう意味?
みたいな、
実は大人ですら理解していないような、
微妙な問題を教える時に、
大人なら犯罪になるような行為を、
「ダメなものだ」と認識させるために、
「叩く」とか「暗い所に閉じ込められる」
といったような司法制度的なルールを
家庭の中に取り入れなきゃいけない。
という事なんだろうなと思います。
西欧の国の場合には、便利な事に、
絶対神的な存在があるので、
「神様にお祈りしなさい」
という躾けがあるんですが、
なんで人を殺しちゃいけないか?
とかモノを盗んじゃいけないか?
は、
とりあえず、
「神様がダメって言ってるんだから、
今はそれに従っておきなさい。
納得いかない部分については、
これから学校で勉強したり、
大人になっていく過程で
自分でその理由を見つけていきなさい。」
みたいな教育が出来るので、
ああ、いいなあ〜と思うんですが、
僕らみたいな、
こういう絶対神的なものがいない、
大多数の日本人の宗派の場合、
八百万の神、、つまり慣習に従え、
という事になりますね。
「みんながダメと言ってるからダメ」
「人様に迷惑かけるからダメ」
これもある意味で、
絶対神的な宗教と似たものがありますが、
ちょっと問題があるのが、、
「神様」を「人様」に置き換えているところ。
西欧の神様にも色々矛盾はありますが、、
日本人の恐れている「人様」も、
矛盾を抱えている場合もあります。
小さな地域の更に小さな人間関係の中でしか
通用しないような村社会のルール。
これも「人様」には違いないわけで、
変わり者を排除したり、村八分にしたり、
これが大きな世界ではおかしい事なのに、
その小さな集団の中では正義になっていて、
これがイジメとかにも繋がったりする。
ここのあたりのバランスが、
結構難しそうです。
とまあ、
そんな事で悩んではいますが、
ウチではP太を叩くのは、
まず無理。
やれと言われても、無理。
ですが、「ダメ」なものは「ダメ」。
というコミュニケーションで、
なんとか躾けが始まってはいます。

















